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英国における開発教育

マーゴ・ブラウンさん「英国における開発教育とグローバル教育の展開と今後を語る」

DEARが設立25周年を迎えた2007年、英国ヨーク市に拠点を置くグローバル教育センター(GCE)も同様に設立25周年を迎えました。

そのナショナル・コーディネーターとして長く英国のグローバル教育を牽引し、また日本の開発教育関係者とも親交の厚いマーゴ・ブラウン(Margot Brown)さんに、英国における開発教育やグローバル教育のこれまでを振り返りながら、現状や今後についての想いや展望を語っていただきました。

なお、この特集は、2007年8月16日に英国ヨーク市のヨーク・セントジョン大学内で行われたインタビューの内容を基に構成したものです。

聞き手:岩崎裕保
企画・編集:上條直美/佐藤友紀/湯本浩之

※最新のイギリスの開発教育のレポートはスタッフブログに掲載しています。併せてお読みください。

左より岩崎、湯本、マーゴ

1. グローバル教育センターの成り立ち

岩崎:
はじめに、グローバル教育センター(CGE、以下「センター」、*1)がDEARと同じく今から25年前に設立された時の経緯や、これまでの活動についてお伺いしたいと思います。

岩崎:
はじめに、グローバル教育センター(CGE、以下「センター」、*1)がDEARと同じく今から25年前に設立された時の経緯や、これまでの活動についてお伺いしたいと思います。

マーゴ:
「センター」は、1970年代のワールド・スタディーズ・プロジェクト(*2)の経験を基礎に、1982年にデイビッド・セルビー(David Selby)によって設立されたものです。当初は、ワールド・スタディーズ・ティーチャー・トレーニング・センター(World Studies Teacher Training Centre, 以下「トレーニング・センター」)という名称で、ヨーク大学内に置かれていました。ワークショップ・アプローチによる教員研修を通じて、小学校や中学校へのワールド・スタディーズの導入を目指しました。デイビッドは最初の1、2年間は、当時ヨーク大学教育学部の教授で、人権教育者としても知られるイアン・リスター(Ian Lister)の協力を得て独自に活動していたと思います。そして確か1984年にグラハム・パイク(Graham Pike)が世界市民教育協議会(CEWC,*3)から移ってきました。

「トレーニング・センター」は、発足後すぐに複数のNGOや財団などから助成金を受けて研修プロジェクトを実施し、その成果が1988年にGlobal Teacher, Global Learner (*4)として発行されました。この研修プロジェクトを通して「教員とともに学ぶ」ということを経験し、それが「トレーニング・センター」の方法論として定着しました。つまり、机上で教材を作るのではなく、教員とともに現場でアイディアを出し合いながら教材を作るというスタイルです。こういったやり方で教員研修をサポートしてきました。それは、教室の現実の状況ともつながっており、非常に生産的な方法だと考えています。

1985年には、「トレーニング・センター」から「グローバル教育センター」に改称されました。その理由は、教育を取り巻く状況が変化したということです。ただ私は1988年から「センター」に参加したので、これはあくまでも私の理解です。名称が変わっても、ワークショップは続けられました。デイビッドもグラハムも、アメリカのグローバル教育の実態調査に基づいて、さまざまな活動を展開しました。グローバル教育という呼び方自体、当時はカナダやアメリカでよく使われていた用語ですが、二人は北米のグローバル教育界の主要な人物や文献に学びながら、英国にグローバル教育を導入したのです。

マーゴとグローバル教育センターの関わり

岩崎:
マーゴ自身は「センター」とはどのような関わりを持たれてきたのですか?

マーゴ:
私と「センター」との関係は、1988年に当時の「インナー・ロンドン教育庁」(ILEA,*5)の「マルチエスニック・センター」から移ってきたことに始まります。「センター」のもっともアクティブな活動は5人のスタッフ(*6)によって担われ、サポートスタッフが3人いました。私たちは地方教育庁(LEA,*7)とともに、教材開発だけでなく、大学を通じて単位を得られる2年間のパートタイムのディプロマ・コースを作ってきました。地元の教師などを対象に単位認定を行い、非常にうまくいきましたが、教育を取り巻く財政状況が変わりました。

1990年代に入り、このコースは財政支援がなくなり、停止せざるをえませんでした。助成金制度が変わり、地方行政は学校を支援するための財政を持たなくなりました。学校が教師を直接支援するか、教師自身が学費を払わなくてはなりませんでした。教師は自分で学費を出すのだから、ディプロマではなくて、もっと高いレベルの修士課程に進みたいと思うようになりました。ディプロマは、アカデミックなコースというよりは、もっと実践的なコースだったからです。

*1:Centre for Global Education(CGE)
*2:World Studies Project。1972年にワンワールド財団(One World Trust)が発足させた研究プロジェクト。70年代は、後述のロビン・リチャードソンが、80年代はサイモン・フィッシャーやデイビッド・ヒックスらが中心となった。
*3:The Council for Education in World Citizenship
*4:邦訳書は『地球市民を育む学習』(中川喜代子監修、阿久澤麻理子訳、明石書店、1997年)
*5:Inner London Education Authority。当時、ロンドンの中心部(インナー・ロンドン)にある13の行政区を管轄していた地方教育庁(LEA,*7)。1990年には廃止され、各行政区にLEAが置かれることになった。
*6:当時の「センター」には、他にスーザン・ファウンテン(Susan Fountain)やスーザン・グレイグ(Susan Greig)も在籍していた。
*7:Local Educational Authority。日本の教育委員会に相当する教育行政機関。イングランドには、各行政単位に応じて約170のLEAがあるという。

2. グローバル教育センターの転換点

岩崎:
この25年間で、様々なことがあったと思いますが、特に重要だと思われる変化や出来事は何ですか?

マーゴ:
たくさんあります。もちろん教育財政に関するものもありますが、多くは教育方針の変更に関連するものです。そのひとつが、1988年にナショナル・カリキュラム(*8)が導入されたことです。「多文化主義へのバックラッシュ(backlash, 巻き返し)」と言われました。また、デイビッドとグラハムがカナダのトロント大学にグローバル教育研究所(IIEG)を設立するために、1992年に「センター」を離れたことも大きな変化でした(*9)。そして1993年に現在のヨーク・セントジョン大学へ移転する際には大きな決断を迫られました。ヨーク大学の教育学部がより研究を重視するようになっていく一方で、当時はまだカレッジだったヨーク・セントジョン大学は実践重視の大学でした。移転したことによって、かえってヨーク大学とは組織的な関わりを持つことができるようになり、「センター」の活動環境も大幅に改善されました。

マーゴの経歴

岩崎:
マーゴ自身はグローバル教育にはどのようにして関わるようになったのですか?

マーゴ:
それにお答えするには、私の経歴を語らなくてはなりませんね。私はまず教師として出発しました。エジンバラ大学で学び、最初の教師としての仕事はフランスでした。戻ってきて1年間はニューキャッスルで教え、ロンドンのブリックストン(Brixton)やハックニー(Hackney)などの文化的な多様性のある地域で6、7年教えていました。その時にニュージーランドに交換教師として行き、帰国後にハックニーに戻りました。

その頃、オックスファムの教育部(OXFAM Education)にも関わりを持つようになり、インドのことをどうやって教室で教えるかというプロジェクトなどに関わっていました。その時、教育部の求人広告が出て、薦められて面接を受け、採用されました。オックスファムでも6、7年働きました。その間、アフリカ、特にサハラ以南のアフリカについて学びました。はじめて開発問題を系統的に学ぶ機会を得て、オックスファムの開発プロジェクトに携わり非常に有意義でした。出版事業も経験しました。

岩崎:
ピーター・デイビス(Peter Davis,*10)やロビン・リチャードソン(Robin Richardson,*11)に出会ったのもその頃ですか?

マーゴ:
そうです。私がオックスファムに入って3ヶ月後にピーターが来ました。この頃は非常に生産的な時期でした。オックスファムやロビンを通じて、開発教育やマルチエスニックの世界とつながるようになりました。それぞれの分野は、専門性・アプローチ・強調点といった点で異なってはいましたが、重なり合う部分も非常にありましたので、部分的に統合していくような動きがありました。

特に、オックスファムの人々は開発問題に対して真剣に取り組もうとしていましたし、地方行政のマルチエスニック政策は、さまざまな課題を統合するという方針を持っていましたので協力し合いました。こうした協力関係は、この25年間に濃淡はありましたが、今でも継続しています。この分野ではすべてが繋がっています。その後に結婚することになるピーター・ハックスフォード(Peter Huxford)とはオックスファムで仕事をしていた頃に出会い、二人の子どもが生まれたこともあり、オックスファムでは非常勤になりました。そして子育てが一段落したあと、再びロンドンの教育庁のマルチエスニック・センターで働いていました。

このセンターでは、階級(クラス)、ジェンダー、バイリンガリズムなどをテーマに教員研修を行い、4、5年働きました。年間を通して、教師へのコースを提供していました。同僚は教師グループをコーディネートしており、非常に意欲的なグループを育てていました。その人はとても活動的で戦略をもちながら、反人種差別主義、多民族主義、バイリンガリズムなどに取り組み、1週間に1回は学校へ通い、このセンターに来ている教員たちのクラスを訪問しました。そうした取り組みは、非常に一貫性のある活動となり、教員と外部者が共通のメッセージを子どもたちに送ることができました。グループに参加した教員は24名で、2年間活動した後、その同僚が他の学校へ移動しましたので私がその後を引き継ぎました。さらに、私はロビンが進めていたワールド・スタディーズ・プロジェクトのワークショップも実施していました。このようにいろいろな活動がこの時期に重なり合っていたのです。こういう経歴を経て私はヨークの「センター」に移ることになりました。

*8:National Curriculums。日本の学習指導要領に近い全国統一カリキュラムのこと。
*9:その後二人はトロント大学のグローバル教育国際研究所(International Institute for Global education)の共同所長として活躍。現在、デイビッドは英国のプリマス大学で、グラハムはカナダのプリンス・エドワード島大学でそれぞれ教鞭を執っている。
*10:オックスファム教育部で開発教育を長く担当するとともに、現在も欧州の開発教育ネットワークづくりに尽力している。http://www.oxfam.org.uk/education/
*11:70年代のワールド・スタディーズ・プロジェクトの研究主幹。

3. 開発教育、ワールド・スタディーズ、グローバル教育の背景

岩崎:
現在の英国のグローバル教育には、どのような思想的実践的な背景があるのでしょうか。たとえば、デイビッド・セルビーたちの影響は?

マーゴ:
デイビッドやグラハムが紹介していたグローバル教育は、非常にアメリカ的ではありましたが、ある一定の教授法としてのスタイルを確立しました。それは今日のグローバル教育だけでなく、開発教育にも影響を与えたのではないでしょうか。 しかし、80年代の開発教育やワールド・スタディーズを教育運動として見た時、パウロ・フレイレに象徴される「南」の思想家や実践家の影響を受けています。特にフレイレは(*12)、オックスファム(OXFAM) やクリスチャンエイド(Christian Aid)やカフォッド(CAFOD)といった主要な開発NGOの活動を通じて、途上国の開発現場から入ってきて、開発現場と開発教育をつなぐものとして大きな影響を与えました。フランスにいたアウグスト・ボワール(Augusto Boal, *13)も大きな影響を与えました。これらのことは1970年代の第三世界との連帯運動からの影響であるとも言えるでしょう。そして、70年代から80年代にかけてワールド・スタディーズ・プロジェクトを率いた ロビン・リチャードソンやデイビッド・ヒックス(David Hicks, *14)の影響は今日でも大きいと思います。

最近の新しい動きとしては、ノッティンガムでの開発教育の実践から発展した「対話と探求のための自由空間」(OSDE,*15)というプロジェクトがあります。そのコーディネーターでブラジル出身の ベネッサ・アンドレオッティ(Vanessa Andreotti, *16)は、開発教育のここ数年の動きに非常に批判的で、植民地主義を通じて権利を剥奪された人々の声を聞くという開発教育の原点である姿勢を開発教育は失いつつあるという批判をしています。

岩崎:
「脱学校論」で有名なイヴァン・イリイチ(Ivan Illich)からの影響はあったのでしょうか?

マーゴ:
個人的に影響を受けた人はいるでしょうが、開発教育やワールド・スタディーズの運動にどのくらいの影響を与えたかは定かではありません。いずれにしても、CGCやDEARが取り組んできた教育運動がひとつ理論的基盤から成り立っているのではないということは非常に興味深い点です。さまざまな理論的な基盤や思想的な背景がありますが、それらが究極的には参加型学習の幅広い視点を形成しているのです。開発教育やワールド・スタディーズ、そしてグローバル教育が少しずつ異なる歴史・方法・強調点を持ちながらも参加型学習へと向かい、より効果的に世界を理解するのに役立つものになっていったと思います。

*12:ブラジルの教育者。成人識字教育の実践で知られ、その教育思想は各方面に大きな影響を及ぼした。邦訳書には『被抑圧者の教育学』(亜紀書房、1979年)や『伝達か対話か』(亜紀書房、1982年)などがある。
*13:ブラジルの民衆演劇運動家。フレイレと並んでラテンアメリカの文化運動を支えた実践者の一人である。邦訳書に『被抑圧者の演劇』(晶文社、1984年)がある。
*14 :ロビン・リチャードソンの後、80年代にワールド・スタディーズ・プロジェクトのナショナル・コーディネーターを務めた。
*15:Open Spaces for Dialogue and Enquiry。http://www.osdemethodology.org.uk/
*16:ノッティンガム大学の「社会と地球の正義研究センター」(CSSGJ, Centre for the Study of Social and Global Justice)の研究員兼コーディネーター。現在はニュージーランドのクライストチャーチにあるカンタベリー大学の客員研究員。

4. 開発教育、ワールド・スタディーズ、グローバル教育の違いとは?

岩崎:
開発教育、ワールド・スタディーズ、グローバル教育という三者の明確な違いを日頃から意識していますか?

マーゴ:
はい、明確に!たとえば開発教育の原点には、南北の格差・分断・不公正という問題がある と言えますが、正直なところ、それぞれの違いを際立たせることにはあまり意味を感じていません。むしろ、共通の目標に向かって、三者の特長や課題を共有していくことの方が重要ではないでしょうか。

グローバル教育は、さまざまな問題や要素を部分としてではなく、ホリスティック(holistic, 全体論的に)に見ていく点が特徴的です。ですから、南北問題を例に取れば、それを「南」と「北」の問題としてではなく、アメリカの発展とサハラ以南のアフリカの貧困とが繋がっているということを解き明かしていこうとすることが大切です。その点においては、実際の現象としては異なるけれど、日本の貧困もオーストラリアの貧困も原因は共通しているということがいえます。開発教育で言えば、南北問題を貧困や開発といった問題(issues)だけではなく、権力や歴史の視座からきちんと捉え直していくことが大切です。 (*17)

グローバリゼーションはすべてを変えてしまいました。教育もそれに対抗して変わっていくべきだと思っています。ワールド・スタディーズは、当初は明確なメッセージをもっていましたが、ナショナル・カリキュラムの導入に伴い、学校教育の現場ではそのメッセージ性が薄れてしまったように思います。 グローバル教育は、根底にある経済の権力を見抜くのに、非常に有効だと考えています。

また、ワールド・スタディーズとグローバル教育はアプローチの仕方が異なります。たとえば、ワールド・スタディーズには人権問題に対する明確なアプローチが ありませんが、その代わりに、多様性(diversity)、ともに学ぶ(learning together)、ともに生きる(living together)というメッセージ を明確に持っています。グローバル教育とワールド・スタディーズは未来教育に強調点をおいていましたが、開発教育にはその視点が弱かったと思います。 もちろん開発教育は南北問題を分かりやすく分析してきましたが、東西問題は見ていませんでした。最近の「持続可能な開発のための教育(ESD)」は、気候変動や温暖化など環境教育の視点が強いように思います。

開発教育、ワールド・スタディーズ、そしてグローバル教育は互いに影響を及ぼし合ってきました。開発教育も今後、他分野からの影響を受けて変化していくと思います。 その点では、ロンドンの開発教育協会(DEA,*18)が団体名称の変更を通じて、ビジョンを明確にしようとしていることは大変興味深いです。開発教育も以前に比べてホリスティックな視点を持つようになってきたと思います。それが名称変更という具体的な事象になって現れているのだと思います。他方で、ナショナル・カリキュラムの中にはグローバル・ディメンション(Global Dimension)という概念が導入されています(*19)。しかし、それは残念な結果になったと思います。学校にアプローチするためにはよかったのかもしれませんが、ディメンションはあくまでディメンションで、表面的であり、ものごとの核心ではありません。他の分野から借用した理論で、あまり正確なものではなく、濁った水のようで、問題を明らかにはしてくれません。 こうした不十分な面を開発教育やワールド・スタディーズやグローバル教育が補っていかなければならないと考えています。

学校現場から見たグローバル教育

岩崎:
英国では、開発教育よりもグローバル教育という言葉の方が、学校の教員には受け入れられやすいのでしょうか?

マーゴ:
グローバル教育でもなかなか難しいと思います。しかし開発教育はさらに難しく、教師にはほとんど理解されないと思っています。「公正な未来に向けた教育」というのが出発点としてはよいと思っています。公正な未来とは公正なグローバル社会ということでもありますが、それでも難しい。

政府の使う「グローバル・ディメンション」はまだ受け入れられているのかもしれませんが、「8つの鍵概念」(*22)などの解説を見たとたん、難しいと感じてしまいます。「試験のための教育」ではなくて、「良い教育」をしたいと思っている教師はたくさんいます。そういった人たちは「変化を起こしたい」と考え、そのためのカリキュラム変更を望んでいます。私たちは研修を通じて、そういう教師を支援しています。財政支援があれば、数学やリテラシー教育のように研修システムを確立できます。しかし財政支援がほとんどないのです。より大きな効果をほんの少しの資金で出していかなければなりません。政府に私たちの成果を見てもらい、イニシアチブを確立していくことが必要だと感じています。

*17:開発教育にホリスティックな視座が欠けているとの指摘は、英国の開発教育に対するマーゴの認識が示されていると思われる。
*18:英国の開発教育関係団体の全国組織。http://www.dea.org.uk
*19:2005年3月に英国の国際開発省(DfID)や教育訓練省(DfES)などは、“Developing the global dimension in the school curriculum”と題する初等中等教育向けの参考資料を共同で発行している。
*22:「地球市民」「対立解決」「多様性」「人権」「相互依存」「社会正義」「持続可能な開発」「価値と認識」の8つの鍵概念(The 8 key concepts)。

5. 日本との関わり

岩崎:
以前、日本にグローバル教育の種をまきたいとおっしゃったことがありますが、日本や日本の人々との関係についてお聞かせください。

マーゴ:
私は1994年2月に初めて日本を訪問しました。とても寒い冬でした。スーザン・ファウンテン(Susan Fountain, *23)と一緒でした。バーミンガムの開発教育センター(DEC, *24)の所長のスコット・シンクレア(Scott Sinclair)から電話連絡を受けて、キャサリン・マクファーレン(Catherine McFarlane)の作った教材 を使って日本でワークショップをして欲しいという依頼でした。当時、彼女が妊娠していたので、私が代わりに行くことになったのです。国際理解教育情報センター(ERIC,*25)の招きでした。私は喜んで行きました。2週間くらい滞在したと思います。

岩崎:
私は東京でのスーザンとミリアム・スタイナー(Miriam Steiner, *26)の2つのワークショップに参加していました。

マーゴ:
当時、ERICの人々とは、日本でのワークショップとは異なる体験がイギリスでできるだろうからと毎年相互交流をしようという話をしました。そして1995年に10人くらいの小さなグループが日本からイギリスに1週間のワークショップのために来ました。その参加者の中に現在、DEARでスタッフをしている中村絵乃さんもいました。ヨーク大学に留学中の日本人学生 もいて、ERICとの橋渡し役を担ってくれました。

その翌年の1996年には日本に行って、奈良教育大学の中川喜代子先生のところでもワークショップをしました。そしてまた翌年の1997年には、日本からイギリスに来ました。その他にも広島や名古屋、栃木や東京などでワークショップをしたことがあります。

岩崎:
マーゴと私の出会いは1996年の奈良でしたね。

マーゴ:
そうでしたね。その後、大阪の地球市民教育センター(*27)のグループが2回来ました。それ以降、この数年はDEARのツアーを受け入れています。こういうプログラムを実施するには諸経費をどう負担し合うかという問題がありますが、英日間で経験やアイディアを交換することができ、大きな成果を得ました。

岩崎:
日本以外の国ではどのようなところでワークショップをされているのですか?

マーゴ:
その他の国では、人権教育の視点からルーマニアとは長い関係があります。モロッコ、エジプト、ガーナ、ウガンダ、カメルーン、オマーンなどともつながりがあります。欧州民主主義人権教育ネットワーク (DARE, *28)という民主主義と人権教育に焦点をあてている全欧的なネットワーク団体があり、その理事会に参加しています。ヨーロッパでの状況を知り、ネットワークの中に入り、シチズンシップ教育の推進に関わっています。

*23:ヨークのグローバル教育センターでマーゴ・ブラウンらと活動した後に、ニューヨークのユニセフ本部で「開発のための教育」プロジェクトを担当。著作にLearning Together(1990)やEducation for Development (1995)などがある。
*24:英国には主要都市には、開発教育センター(通称DEC)」と呼ばれる活動拠点があり、それぞれが独自に運営されている。その中でもバーミンガムのDECはその規模や実績で知られている。http://www.tidec.org/
*25:ワールド・スタディーズ・プロジェクトが発行したWorld Studies 8-13 A Teacher’s Handbook (1985) を翻訳し、『ワールド・スタディーズ学びかた・教えかたハンドブック』(めこん、1991年)として出版。
*26:90年代(第3期)のワールド・スタディーズ・プロジェクトを担いLearning from Experience(1993,邦訳無)やDeveloping the Global Teacher(1996,邦訳は明石書店から近刊予定)などの研究報告書を執筆。
*27:1997年に開発教育、人権教育、国際理解教育などに取り組んできた関西地域の実践者や研究者らによって発足した。
*28:Democracy and Human Rights Education in Europe

6. グローバル教育の今後~市民教育への展開は?

岩崎:
将来的にグローバル教育を進めていくために何が必要だと思いますか?

マーゴ:
ワークショップを通じて、教師一人ひとりを啓発していくことです。一人ひとりの意識を変えていくこと、置かれている状況を把握すること、そして私自身の学びが重要だと思っています。また、正義の基本指針となる人権が必要だと思っています。人々の正義感が、大小さまざまなレベルで欠如しています。人々を創造的かつ意欲的にしていくための教育、自分自身の考えを開発し、よりよい世界を作るための学びの基盤が必要だと考えています。それが「正義」だと思います。

岩崎:
その「正義」を推進するのは難しいと考えていますか?

マーゴ:
「正義」に対する人々の考えもさまざまです。正義が回復している場所もあれば、正義が無視されている場所もあります。スーダンのダルフールでも、英国でもまだまだ人種差別が起こっています。

岩崎:
英国の市民教育に対して、近年、日本の関係者は関心を寄せるようになっています。学校に導入するために、どのようなプロセスや手続きが必要でしょうか?

マーゴ:
学校の教師というのは、異なる視点や理解度を持っています。一人の教師の実践を、他の教師がそのまま使えるとは限らず、教師のものの見方や考え方が一番の障害になっています。 議論や交渉の事例を紹介しながら教師を励ましていますが、たとえば、ナショナル・カリキュラムの導入の際、同じ学校同じ学年であっても 「政治的に危険だ!いや危険ではない!」と、教師の間で賛否が分かれました。

市民教育の現状と今後~市民教育の基盤は「正義」

岩崎:
市民教育も同じような状況だということでしょうか?

マーゴ:
そうです。ただ、市民教育や政治教育を実践している教師の数は、少しずつ増えていくと思います。なぜなら教員研修を受けた人が、他の教師に研修していくという仕組みがあるからです。
また、同僚の教師が一緒になって、新しい試みや参加型学習を授業に導入していくことが非常に有効だと考えています。教材はたくさんあります。教育の文化の中で「正義」がその基盤となり、「正義」がカリキュラムに導入されて、変化がおこれば、その変化を実際に見届けながら、適切に次の方法を取り入れていくことが必要ではないでしょうか。

岩崎:
市民教育も「正義」が基盤になりますか?

マーゴ:
市民教育では「法の支配」ということがひとつのポイントです。「法が正義だ」とは限りませんが、「法が不正義」の場合、どんな問題が起こるでしょうか。こんな実例があります。
英国政府は最近「国会の500ヤード以内では平和的であっても抗議運動をしてはいけない」という法律を作りました。この法律によって、国会前で平和行動をしていた人々が手にしていたケーキに「平和と正義」と書いてあっただけで、それは挑発的なデモンストレーションだということになり、この人たちは逮捕されてしまいました。

これには背景があります。イラク戦争が始まる前から、国会正面の広場でテントを張って抗議活動をしているブライアン・ホールという活動家がいました。政府は彼が気に入らなくて、この法律を作ったのです。ところが、裁判所は「彼はこの法律が成立する前から広場にいたので、これを適用することはできない」という常識的な「法の支配」を示しました。 市民教育が「正義」に基づくものかどうかは難しい問いですが、少なくとも市民教育は「法の支配」に基づくものであるとは言えます。しかし、「法は正義だ」とは言い切れない以上、市民教育が「不正義な法」に支配されないように、私たちは「正義とは何か」を問い続けなければならないと思います。市民教育の基盤が「正義」であるとはそういう意味です。

岩崎:
市民教育がナショナル・カリキュラムに導入されていなかったら、状況は違っていましたか?

マーゴ:
ナショナル・カリキュラムの導入の前は、学校でもプロジェクトを持っていました。しかし、それらは現在の市民教育と同様の内容であったとは必ずしも言い切れず、教師個人や学校単独での実践でしかなかったのです。 
確かに、ナショナル・カリキュラムに市民教育が導入されたことで、ある種の標準はできました。しかし、その内容は難しく、また活動的な学習を重視しているので、教師にとっては準備が大変です。社会の時事問題に重点が置かれる一方、個人の内面に係わる課題などを扱ってきたPSHE(*29)の時間は毎日20分しか当てられておらず、単に教師と生徒との連絡の時間になっている場合もあるようです。現行の市民教育は、教師個人の力量や裁量に基づいて行われ、学校によって異なる実施状況が生まれています。

また、「進学」の実績によって学校がランク付け(*30)されるなど息苦しくなる中で、市民教育やPSHEがカリキュラムの中に正式に位置づけられたことは、「ヒューマニティ・ベース・アプローチ」と呼ばれる人間中心主義的なアプローチを再認識する機会になっているとは思います。1995年と2000年のカリキュラムの再改訂では、学校現場でもっと柔軟な対応が可能となる方向性が示されています。ただ、今の段階では、市民教育を評価するにはまだ早いと感じています。

日本の開発教育の今後に対して一言

岩崎:
最後に日本の開発教育の今後に向けてメッセージをいただけますか?

マーゴ:
まずはDEARが25周年を迎えたことを共に喜びたいと思います。同時にこれまでの活動を支えて来られた方々に敬意を表します。今後に向けては、実践を積み重ねること(Keep practicing)、そして良い仕事をし続けることです。国境を越えた連帯はとても大事。同じ価値観を持ち、世界のそれぞれの場所で、孤立せずに世界的なネットワークを続けていくこと。連帯し続け、連絡をとりつづけ、インスピレーションを与え続け合うことが大切です。そうした積み重ねが私たちを理想に近づけてくれると信じています。

岩崎:
今日はどうもありがとうございました。

マーゴ:
こちらこそ、ありがとうございました。

*29:Personal, Social, Health Education。内容的には日本の「道徳」に相当する部分もあるが、徳目を教え込むことが目的ではなく、市民社会における関係作りを重視している。
*30:英国では90年代以降、リーグ・テーブル(League Table)と呼ばれる全国一斉テストなどの学校別成績順位表が、マスコミを通じて公表されるようになっている。