DEAR 開発教育協会

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開発教育ってなんだろう?その1

2019年12月に内容を一新しました。

Q1 開発教育はどのような社会を目指しているの?

豊かさは、誰にでも公平にいき届いているわけではありません。 商業的な利益や経済的な効率ばかりを優先する社会のあり方は、弱い立場に追いやられる人々を生み、現在と未来の全ての命にとって大切な地球環境を破壊してきました。 そうした社会の中で私たち自身もいつしか豊かさの意味を見失いつつあるようです。

世界でおこっている貧困・飢餓、紛争・内戦、環境破壊、人権侵害といった問題は、日本の社会のあり方や私たちのライフスタイルとも深く関係しています。また日本にも同様の問題が存在しています。

開発教育は、共に生きることのできる公正で持続可能な地球社会をめざしています。「共に生きる」とは文化・民族・宗教などを異にする世界の人々が対立し排除しあうのではなく、お互いを尊重して共存することです。そのためには「公正」[1]な社会づくりが欠かせません。すなわち、差別がなく極端な貧富の格差がない世界が求められます。また、私たちの子孫が豊かな環境の中で暮らしていけるような持続可能な世界をめざしていく必要もあります。


[1] 「公正」とは立場や条件を異にする個人や集団が、不当な不利益や不都合を被ることがないようにすることです。(西あい、湯本浩之編著(2017)『グローバル時代の「開発」を考える』明石書店、より)

Q2 どのような教育・学習をめざしているの?

Q1で書いたような社会をめざすために有効な教育や学習活動を、開発教育は展開しようとしています。そうした活動では、私たち一人ひとりが、世界で起きている開発や環境、人権や平和などのさまざまな問題をよく知り、自分の問題として考え、その解決に向けて行動していくことが求められます。すなわち、開発教育では、共に生きることのできる公正で持続可能な社会づくりをめざして、各学習者の学習プロセスで「知る」「考える」「変わり・行動する」ことを生み出す学習活動です。

私たち一人ひとりが変わり、行動するということは、地球社会のさまざまな課題に目を向けるとともに、私たちの日常生活のあり方そのものを変えていくことが基本にあります。また、身近に暮らす外国ルーツの人々と共生することや、差別・偏見をもたない寛容な人間観を持つことも大切なことです。さらに重要なことは、こうした自分の中での意識や行動の変化(自己変容)を個人的なレベルにとどめるのではなく、社会の中で実践し、多くの人々に呼びかけていくことです。そうした活動を通じて、社会の制度やあり方に変化(社会変容)を促していこうとするのが開発教育のめざす教育や学習のねらいです。


参照:Q11 どのように実践するの? Q12ファシリテーターってどんな人? Q13参加型学習ってなあに?)

Q3 開発教育は、いつ、どのように始まったの?

開発教育は1960年代に欧米で始まった海外協力活動の中から生まれたものです。当時、アジアやアフリカなどの「南」の国々への海外協力を始めた欧米のNGOは、多くの人々に「南」の国々が深刻な飢餓や貧困に苦しんでいることを知ってもらい、海外援助の必要性を理解し、協力してもらうために、国内での広報活動や募金活動に力を入れるようになりました。

しかし、1960年代も後半になると、「南」の途上国に対する国連や政府による海外援助の成果が見えないことから、そのあり方を問題視する世論が欧米で高まりました。そうした中で、飢餓や貧困の問題が途上国で起こる本当の原因は何なのか、なぜ途上国と先進国の間で貧富の格差が広がるのかといった問題意識がNGOの関係者や支援者などの間で広まります。こうして、欧米のNGOは、国内の一般市民に寄付や協力をただ呼びかけるのではなく、開発問題や南北問題の原因やその解決策を考え、市民一人ひとりが問題解決に向けて行動していくことが大切であると考え、開発問題を考える教育活動を行うようになったのです。(参照:Q6 欧米ではどのように行われてきたの?)

日本ではYMCA(キリスト教青年会)やガールスカウトなど国際的なつながりがある青少年団体が1970年代から国際交流の中で開発教育に相当する活動を始めていました。また、開発途上国での国際協力に取り組んできた青年海外協力隊の帰国隊員が、途上国の実情を地元で伝えるような活動を展開していました。

最初の開発教育の催しは、1979年に栃木と東京で開かれた「開発教育シンポジウム」です。この催しを主催したのは、それまでに途上国とのつながりやそこでの活動経験があった青年海外協力隊の事務局や帰国隊員、青少年団体とともに、日本ユニセフ協会や国連広報センターなどの国連機関でした。1982年にはこのシンポジウムに関わったこれらの団体や人々を中心に開発教育協議会(現在の開発教育協会)が結成されました。 

以来、毎年夏には開発教育全国研究集会(2018年からd-labに改称)が実施されて、学校での授業実践をはじめ、NGOやYMCAなどが会員や市民向けに実施したプログラムなどが紹介され、共有されていきました。1980年代後半になると、外務省の支援を受けて、欧米諸国の開発教育の実態調査が行われたり、開発教育を紹介する小冊子が制作されたりするようになりました。

1990年代には日本各地で開発教育地域セミナーが開かれました。地域セミナーは1992年度から2003年度までの12年間に44都道府県で計64回開かれて、開発教育の普及が進みました。

これらのセミナーでは開発教育の理念や内容だけではなく、学習方法としての参加型学習が紹介され、各地の学校関係者やNGOなどで受け入れられました。また開発教育のテーマも単に海の向こうの遠い世界の問題を知ったり、考えたりするのではなく、「世界と地域のつながり」や「地域の中の世界」について「知り、考え、行動する」という新しい開発教育のあり方が提起されました。

Q4 開発教育はどのように実施されてきたの?

欧米で始まった開発教育は、教育活動であるとはいえ、学校教育の中から始まったものではありませんでした。Q3で紹介したように、開発教育はNGOなどによる国際協力活動の中から生まれ、国内での広報活動や募金活動を経て、教育・学習活動として展開してきました。

それは日本の開発教育も同様でした。NGOや青年海外協力隊の支援団体をはじめ、各地のYMCAや国際交流協会、また、JICA(国際協力機構)の地域センターなどによって、報告会や学習会、研修会や市民講座、あるいはワークキャンプやスタディツアーといった学校外での社会教育や市民活動の中で、開発教育は展開されてきました。その一方で、学校教育の中では、限られた一部の教員によって、開発教育の視点や教材を取り入れた先駆的な授業が取り組まれてきたものの、教科の中で体系的に開発教育が実践されることはありませんでした。

しかし、2002年から実施された学習指導要領に「総合的な学習の時間(総合学習)」が導入されたことは、開発教育が学校教育の中で実施される大きなきっかけとなりました。この学習指導要領の中では、従来の国語・算数・理科・社会という教科やその教科書を中心とした系統的な授業だけでなく、「地域や学校、児童(生徒)の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行う」ことが、各学校に求められました。また、総合学習のテーマとして、国際理解、環境、福祉・健康、情報、そして、地域課題が例示されました。それまで学校での実践が難しかった開発教育ですが、国際理解や環境などをテーマに、開発教育の内容を学習することができるようになりました。

総合学習ではその学習方法として、児童や生徒が「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え」、「問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組」むことが強調されました。これは開発教育が重視してきた参加型学習と同様な考え方と言えるでしょう。しかし、当時はまだ参加型学習を活用した教材が少なかったため、開発教育協会(DEAR)が制作した『ワークショップ版 世界がもし100人の村だったら』や『新・貿易ゲーム』(神奈川県国際交流協会(当時)との共同発行)などの教材が学校現場で活用されることになりました。また、総合学習の導入を契機としてNGOなどのスタッフが学校にゲスト講師として招かれて授業をする機会も増えました。

さらに、2005年から2014年までを国連「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」と定められたことから、国内の学校や大学でもESDへの取り組みが求められるようになりました。ESDのテーマは、開発教育と環境教育に関連した学習内容がほとんどでしたので、この期間を通じて開発教育がテーマとしてきた内容が学校教育で広範に採用されるところとなりました。(参照:Q9 ESDとはどのように関連しているの?)  こうした学校現場での変化やESDを反映して、2020年から実施される学習指導要領では、その前文に「これからの学校には、・・・一人一人の児童(生徒)が・・・持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」と明記されました。今後、日本の学校教育の中でESDが実践されるいく上で、開発教育が持つ知見や経験、そして、国内外の社会課題に取り組んできたNGOやNPOなどとの連携協力がますます求められるようになるでしょう。

Q5 何を学ぶの?

日本では1970年代中頃から開発教育のことが一部の関係者の間で徐々に知られるようになり、1980年代に入って、NGOや青少年団体などによって開発教育の実践が始まります。そうした時期に、DEARの前身となる開発教育協議会は、開発教育を次のように説明しました。

これから21世紀にかけて早急に克服を必要としている人類社会に共通な課題、つまり低開発について、その様相と原因を理解し、地球社会構成国の相互依存性について認識を深め、開発をすすめていこうとする多くの努力や試みを知り、そして開発のために積極的に参加しようという態度を養うことをねらいとする学校内外の教育活動。

経済発展が立ち後れて、飢餓や貧困に苦しむ状態のことを当時は「低開発」という言葉で言い表していました。このように、「南」の低開発の現状やその原因を理解し、低開発から抜け出すための海外際協力などの取り組みを知ることが、当初の開発教育が学ぼうとした内容であり、私たち一人ひとりがそうした取り組みに参加していこうというのが、そのねらいでした。

1990年代に入ると、日本の開発教育は「何を学ぶのか」という内容や「どのように学ぶのか」という方法の点で、大きな変化を見せることになりました。そして、その変化には国際的な動向が強く影響していました。

まず、その内容ですが、それまでの開発教育が、途上国の開発問題や海外協力をその主な学習内容としていたのに対して、1990年代のその特徴は、学習内容がそれ以外の問題へと広がりを見せたことです。この背景には、1990年代に入って、国連が開発や環境、人権や女性などの地球的課題に関するグローバル会議を毎年のように開催したことがあります。これらの会議によって、さまざまな地球的課題が相互に密接に関係し合っていることが国際社会の共通認識となったのです。こうした状況の中で、当時の開発教育協議会は、開発教育の定義を再考し、1996年頃から次のように開発教育を説明するようになりました。

私たちは、これまで経済を優先した開発をすすめてきた結果、貧富の格差や環境の破壊など、さまざまな問題を引き起こしてきました。これらの問題にとりくむことが、私たちみんなの大きな課題となっています。

開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動です。

そのために次のような5つの学習目標を掲げています。

1.多様性の尊重
開発を考える上で、人間の尊厳を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること。

2.開発問題の現状と原因
地球社会の各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること。

3.地球的諸課題の関連性
開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること。

4.世界と私たちのつながり
世界のつながりの構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと

5.私たちの参加
開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、解決に向けて参加する能力と態度を養うこと。

従来の説明では、開発教育のねらいを「低開発」について理解し、「開発に参加していく態度を養うこと」としていました。それに対して、この新たな説明では、「開発」だけでなく、これに関わる「さまざまな問題を理解し」た上で、「共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加すること」が開発教育のねらいとなりました。そして、5つの学習目標が具体的に挙げられているように、開発教育のねらいや学習目標が大きく拡張したのです。ただし、この説明から早20年余りが経過していますので、さらなる見直しが必要となっているといえるでしょう。

もうひとつ、2000年代の開発教育の内容や方法に大きく影響することとして、持続可能な開発のための教育(ESD)と持続可能な開発目標(SDGs)があります。これらと開発教育との関係については、それぞれQ10とQ11を参照してください。

Q6 欧米ではどのように行われてきたの?

開発教育 (Development Education) は欧米諸国では1960年代に始まりました。当初は国際協力NGOがその支援者に対して開発途上国の現実を知らせたり、国際協力のための行う募金キャンペーンの一環としてとして展開されていました。その後1970年代には、開発教育はユネスコやユニセフなどの国連機関においても採用されることとなり、一過性の学習活動ではなく、南北問題や開発問題の体系的な理解を促す教育活動として発展します。

英国では、1960年代に当時の労働党政権がオックスファム、クリスチャンエイド、セーブ・ザ・チルドレンなどの開発NGOとともに委員会を設置し、政府とNGOが共同して開発教育を普及推進していく仕組みが生まれました。NGOや市民の側でも各地に開発教育センターと呼ばれる開発教育の活動拠点を発足させ、教材開発や教員研修などを通じて、その普及推進が図られました。オランダや北欧諸国、カナダやオーストラリアなども、政府とNGOが協力して開発教育に積極的に取り組みました。

欧米諸国では、政府が開発教育を政策的にも資金的にも支援したことが特徴のひとつと言えますが、それは諸刃の剣でもあったのです。1990年代以降になると、政府予算の逼迫や政権交代による方針転換などにより、開発教育に対する直接的な政府支援が十分に得られなくなります。そのため、NGOの中には開発教育事業を縮小したり、担当部門の閉鎖に追い込まれたりするところも出てくるようになりました。

 他方、日本で総合的な学習の時間が導入され始めた2000年代初頭の英国では、学校教育にシティズンシップ教育が正式な教科として導入されました。これに伴い、開発NGOや開発教育団体は、政府が導入したシティズンシップ教育が、グローバルな視点や内容を伴ったグローバル・シティズンシップ教育(地球市民教育)となるように働きかけるとともに、教育省や国際開発省などとともにそのガイドラインや指導書を共同で作成しました。こうした変化に対応して、近年の英国では、開発教育よりも、グローバル教育やグローバル学習という用語が使われるようになっています。

  次に欧州全体の取り組みを紹介しましょう。1989年に東西冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊しました。これによって、東欧の社会主義諸国の民主化や欧州全体の政治経済体制の統合が進み、欧州連合(EU)が設立されました。こうした欧州の統合や拡大の流れの中で、欧州各国は開発教育やシティズンシップ教育を実践しています。1999年から毎年11月に「グローバル教育週間」を開催しており、2001年からは欧州グローバル教育ネットワーク(GENE)と呼ばれる組織がその推進役を担っています。

また、欧州各国の開発NGOの連合体や国際NGOで構成される欧州救援開発NGO連合(CONCORD)では、開発教育や意識喚起に関する情報共有や経験交流、そして欧州連合への政策提言などを目的に、2003年から2015年まで開発教育欧州交流プロジェクト(DEEEP)を4期にわたって展開しました。さらに、2017年には、持続可能な開発目標(SDGs)の中でも持続可能な開発のための教育(ESD)や地球市民教育(GCE)が明記された目標4.7の実現に向けて、ブリッジ47(Bridge 47)という組織が発足しました。これと並行して、ロンドン大学教育研究院(UCL-IOE)内には開発教育研究センター(DERC)が発足し、ここを拠点に、グローバル教育・学習学術ネットワーク(ANGEL)という研究者のネットワーク組織も2017年に発足しました。

このように、21世紀に入って、欧州では従来の「開発教育」という理念や経験を保持しながらも、グローバル教育や地球市民教育という名称も併用して、既存の概念や枠組みを超えた新たな取り組みに挑戦するようになっています。

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ウェブ版「開発教育Q&A」
掲載日 2019年12月1日
発行:認定NPO法人開発教育協会(DEAR)
執筆・編集:近藤牧子・田中治彦・湯本浩之・中村絵乃

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